新型肺炎から約100年前のスペイン風邪を連想し、調べてみた。

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新型コロナウィルスの広がりにより、世界各国で感染者数と死者数がどんどん増えていってしまっている現状、とても心配です。

今から100年ほど前に世界中で蔓延したスペイン風邪を思い出し、色々調べてみました。

スペイン風邪

スペイン風邪(Spanish Flu; 1918 influenza pandemic)は、1918年1月頃から蔓延が始まったインフルエンザパンデミックです。その病原体はH1N1型ウイルスです。

当時の世界人口は18億~19億人でしたが、そのおよそ27%にあたる5億人がこのスペイン風邪を罹患したといわれています。死亡者数は、4,000万~5,000万人、一説には1億人を超えたともいわれています。

なお、スペイン風邪という名称は、この病気がスペインが発生源であることを示すものではなく、スペインにとっては風評被害のようなものです。

スペイン風邪が蔓延した当時、世界は第一次世界大戦の真っただ中で、戦争当事国であった、ドイツ、英国、フランス、米国では、国民や兵士の士気を維持するために、この病気やその死亡率の報道が検閲対象となり、メディアが自由に報道することができませんでした。一方でスペインは、この戦争の中立国であり、戦時検閲がなかったことで、メディアが自由にこの伝染病の進展を報道することができました。

当時のスペイン国王のアルフォンソ13世も、この伝染病にかかって一時重態に陥り、その後の回復過程を含め、詳細に報道されたこともあり、この伝染病がスペインに飛びぬけて深刻な影響を及ぼしているとの誤解が生じ、その結果、スペイン風邪というニックネームがつけられ、それが図らずしも定着してしまった、というのが実際のところのようです。(実際の発生源については諸説あり) 

当時の日本人のスペイン風邪の罹患率

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1918年当時の日本の人口は約5,600万人でしたが、そのうちスペイン風邪に罹患した人は、約2,300万人。なんと当時の日本人の約40%がスペイン風邪を患ったことになります。うち亡くなった方は約39万人。罹患者数に対する死亡者数の割合は1.7%くらいです。

 1918年当時の日本の人口        約5,600万人

スペイン風邪に罹患した日本人の数   約2,300万人

日本人感染者の日本の人口に対する割合   40%強

スペイン風邪で亡くなった日本人の数    約39万人

 (数字については諸説あるようで、資料によってだいぶ差異がありました。) 

スペイン風邪の犠牲者の特徴

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 スペイン風邪で亡くなった方は「若い成人」が多い、という注目すべき特徴がありました。アメリカのデータですが、1918年~1919年にスペイン風邪で亡くなった人は、99%が65歳未満の人でした。そして亡くなった人の半数以上が、20~40歳の人だったそうです。

これは極めて異例のことです。通常インフルエンザは、体力的に劣る人々、すなわち2歳未満の幼児、70歳を超える高齢者に犠牲者が出やすい、という特徴があるからです。

「なぜスペイン風邪は高齢者の犠牲者が極端に少なかったのか。」これには諸説あるようですが、よく主張されるのは、この時代の高齢者は、1889~1890年に世界的に大流行したインフルエンザ(「Russian Flu」すなわち「ロシア風邪」としても知られています)を経験したことで、それと似たスペイン風邪のウイルスに対する免疫を獲得していたのではないか、というものです(ロシア風邪とスペイン風邪のウイルスの型は類似していたとのこと)。

但し、この説だとスペイン風邪流行時に30歳以上の人は、1889~1890年にはすでに生まれていたため、65歳以上の高齢者のみの死亡率だけが極端に少ないことの説明にはならないように思います。

話を元に戻しますが、ある歴史家によると、もっともスペイン風邪に耐性が低く、死亡率が高かったのは、「妊娠中の女性」だったとのことです。このパンデミックで入院していた妊娠中の女性について13の研究で調べたところ、死亡率は23~71%にも上ったそうです。そして出産後も生き残った女性についても、26%以上が子どもは助からなかったといいます。

スペイン風邪の流行の季節

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インフルエンザは通常、冬季に蔓延しやすいのですが、スペイン風邪は必ずしもそうではありませんでした。

スペイン風邪は、第一波、第二波、第三波、と3回に分けて大流行しますが、第一波(感染性は高かったものの、致死率は通常のインフルエンザに比べて極端に高いとはいえなかった)は、現地の季節でから始まり、第二波は現地の季節で晩秋から、第三波は現地の季節でからそれぞれ始まっています。

とくに致死率の高かった第二波ですが、死亡者のもっとも多かったのは、1918年10月で、北半球でいうとにあたります。 

収束は突然に

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最も致死率の高かった第二波が1918年に発生した後、新たな感染は突然減少します。ほぼゼロに等しいレベルにまで激減したそうです。例えばフィラデルフィア州では、10月16日を最終日とする週には、4,597名がインフルエンザで亡くなっていますが、11月11日までにはほとんどインフルエンザが消滅したとのことです。

これは、1918年のウイルスが、より毒性の低い型に突然変異したことが原因ではないか、とみる向きがあるようです。実際にインフルエンザのウイルスにはこうしたことがよく起こるそうです。(了)